歴史・人物

歴史

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  芦北町田浦地区の藤崎家住宅は、地元の人からは「赤松館(せきしょうかん)」と呼ばれて
 います。
  この名前の由来は先代当主である藤崎彌熊の『ビードロの窓』によりますと、彌熊の
 父親の彌一郎が竹崎茶堂(註1)の塾、日新堂で先輩であった園田蘇門(註2)が設計を
 行い、「今でも蘇門先生の書かれた『赤松館』の大書が残っています。名づけの親でもあった
 のでせう。赤松館とは赤松峠から取ったものであることは明らかです。」と述べられています。

  赤松峠は天険として名高い三太郎峠の一つで、かつては赤松館の座敷から庭の木立越し
 に芦北の山々を望むことができ、それを庭園の借景としていました。

  主屋の棟札には明治26年(1893)9月4日の日付が記され、上棟式の際の古写真が現在も
 伝わっています。完成は翌27年ですが、この年に日清戦争が始まったため、主屋二階内部の
 造作は中断され、未完成のままになっています。

  完成から5年後、彌一郎の娘、江上トミ(註3)が生まれました。トミはこの家で小学校3年の
 頃から母親に料理を仕込まれたといい、後に日本の料理研究家の草分けとして活躍するトミの
 原点ともいえる場所です。
  完成から107年後の平成12年(2000)10月18日に、文化庁は「高い水準の大工技術を
 有する近代和風建築である」として、主屋をはじめとする9件の建造物を国の登録有形文化財
 に登録をしています。

  註1)竹崎茶堂:横井小楠の高弟として、明治初期の藩政改革にあたった。
         彼が主宰した日新堂では徳富蘇峰・盧花兄弟、北里柴三郎、
         小崎弘道、土肥樵石、内田康成などが学んだ。

  註2)園田蘇門:竹崎茶堂の弟子で日新堂では教頭を務めた。郷里で私塾を開き、多くの
          人材を育成した。詩人・俳人としても名高い。

  註3)江上トミ:料理研究家。東京に江上料理学院を開校し、爆発的な料理ブームの
          きっかけをつくる。また「奥様料理メモ」、「きようの料理」など
          テレビ料理番組に出演し、戦後日本の家庭料理の普及に貢献した。
          芦北町名誉町民。

                     町作成 赤松館紹介パンフレットより

人物

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  江戸時代後期に書かれた『町在』(熊本県立図書館蔵)によれば、藤崎家当主は田浦
 手永浜町村(註1)の頭百姓や庄屋を歴代勤め、大正時代には葦北や八代に100ha
 を越える土地を所有する大地主であったといいます。

  先々代当主の藤崎彌一郎(1850〜1918)は、横井小楠の弟子竹崎茶堂の日新堂に学び、
 肥後実学党の流れを汲む改進党員(註2)として、葦北郡会議長や葦北郡初の県議会議員
 として活躍しました。

 また彌一郎は日新堂で徳富蘇峰と同門にあたり、明治23年(1890)に蘇峰が「国民新聞社」
 を創立した際には、その資金援助を行っています。蘇峰と交わされた手紙、電報等の書簡や、
 後に欧州留学の際に蘇峰が彌一郎に土産として買ってきた英国の政治家グラッドストン
 (註3)の胸像は、現在でも藤崎家に伝わっています。

  先代彌熊(1902〜81)は若くして英国に留学し、田浦村長や初代田浦町長を勤めています。
 この彌熊の姉が料理研究家の江上トミです。トミ、彌熊の母である麻(アサ)
 は彌一郎の後妻で、玉名郡南関町の旧家江上家の出身です。彼女は明治10年(1877)の
 西南戦争の時に熊本協同隊を率いて八代で戦死した宮崎八郎(註4)の許婚者であったと
 いい、八郎の弟である宮崎民蔵・滔天はよく訪問していたそうです。
 藤崎家は資産家でしたが、生活は質素で贅沢を許さない母親だったとのことです。

  彌一郎は江戸時代に肥後細川藩の御用窯であった八代焼(高田焼)の上野(あがの)家
 から養子として藤崎家に入った人物で、肥後藩士で画家としても有名な福田太華が上野家に
 依頼した花瓶の絵入り注文書と、その謝礼に太華から贈られた孔雀図など、彌一郎が上野
 家から持参したと思われる品々が残されています。

 また蘇峰が彌一郎に贈った久保田米僊(くぼたべいせん)の双鶴図、杉谷雪樵の屏風、
 吉永千秋の歌額などが邸内の壁や袋戸を飾っており、藤崎家の人々が自由民権運動や肥後
 ゆかりの文化人と密接に交流していたことを物語っています。

            (八代市立博物館 福原 透氏の解説に一部加筆、修正)

  註1)田浦手永浜町村:手永は数村をまとめた肥後藩独自の行政単位。浜町村は現在の
        大字田浦町にあたる。
  註2)改進党:立憲改進党。明治15年に大隈重信を中心に結成される。英国流立憲君主
        制、政治漸進主義を唱え、地方都市の知識人層や産業資本家に支持された。
  註3)W.グラッドストン:英国の政治家。19世紀英国を代表する議会政治家で、首
        相を4度歴任した。明治期日本の政党政治家に、自由主義の理想を追求する
        政治家として人気があった。
  註4)宮崎八郎:熊本県荒尾出身。中江兆民翻訳のルソー著『民約論』を読んで感銘を
        受け、自由民権運動の先駆者として活動した。その活躍は司馬遼太郎著
        『飛ぶが如く』に詳しい。熊本協同隊参謀長として27歳で戦死。弟の民蔵
        ・彌蔵・寅蔵(滔天)は全アジアの独立開放と自由平等の開放を夢見て
        活動を行い、特に滔天は孫文を物心両面で支援し、辛亥革命成功の礎とな
        る「中国同盟会」設立へと導いた。一般に彼ら兄弟のことを宮崎4兄弟と呼ぶ。

                     町作成 赤松館紹介パンフレットより
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